マリッカー(末利)

2015.09.18 マリッカー(末利)

マッリカー(末利)

増谷文雄 阿含経典第三巻 拘薩羅相応八
南伝相応部経典 三、八、末利

 かようにわたしは聞いた。

 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。  また、その時、コーサラ(拘薩羅)国の王パセーナディ(波斯匿)はその夫人のマッリカー(末利)とともに、高楼に登っていた。そこで、コーサラ国の王パセーナディはマッリカー夫人にいった。  「マッリカーよ、そなたには、そなた自身よりももっと愛しい者があるであろうか」  「大王よ、わたしには、わたし自身よりももっと愛しい者はございません。大王よ、王さまには、誰ぞ王さま御自身よりも愛しい者がございましょうか」 「マッリカーよ、わたしにも、わたし自身よりももっと愛しい者は誰もない」

 そこで、コーサラ国の王パセーナディは、高楼を下って、世尊を訪れた。訪れると世尊を拝して、その傍らに坐した。 傍らに坐したコーサラ国の王パセーナディは、世尊に申しあげた。 「ところで、世尊よ、わたしは、マッリカー妃とともに高楼にあってマッリカー妃に申しました。『マッリカーよ、そなたには、そなた自身よりももっと愛しい者があるであろうか』と。世尊よ、すると、マッリカー妃はわたしにこう申しました。『大王よ、わたしには、わたし自身よりももっと愛しい者はございません。大王よ、王さまには、誰ぞ王さま御自身よりも愛しい者がございましょうか』と。世尊よ、そういわれて、わたしは、マッリカー妃にこう申しました。『マッリカーよ、わたしにも、わたし自身よりももっと愛しい者は誰もない』と。」

  すると、世尊は、その意味を知って、その時、このような偈を誦したもうた。 「人の思いはいずこへも赴くことができる されど、いずこへ赴こうとも 人はおのれより愛しい者を見出すことはできない それとおなじく、他の人々にも、自己はこのうえもなく愛しい されば、おのれの愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ」

 とても明確なお経です。 私は「天上天下唯我独尊」の意味はこういうことではないかと思っています。